自分の周囲が安全だとは思わないこと
盗聴の被害はランダムに発生しています。誰がどこでその被害にあっているのか、わからないのです。大切なことは「盗聴」は犯罪であるということです。私たちにはプライバシーを守る権利があります。
たとえ盗聴されることで、そのようにして漏れてしまった情報によって、何も実害が発生しないとしても、人のプライバシーを覗くこと自体が犯罪なのです。盗聴している相手は、その先に何もする気がないのかもしれません。ただ「聴くだけ」で満足しているのかもしれません。ですが、それは完全に犯罪です。盗聴が発覚した場合、泣き寝入りすることだけは避けましょう。
ただ、それは「自分のプライバシー」が侵害される場合です。例えば、仕事上の電話。これは「プライバシー」ではありません。仕事上に相手と電話で商談することは「仕事」そのものです。「仕事」はその組織、自分が勤めている企業のものです。そこで交わされる情報に対しては「自分のプライバシーだ」ということは含まれません。それは会社のものです。経営者の責任です。たとえそこで失敗してしまったとしても、会社の信用を落とすようなことを口走ってしまったとしても、最終的な責任を取るのは会社の責任者です。自分ではありません。ですから、そのような会話自体は録音されても何もいえません。「オープンにできない仕事」などはないのです。
ですから「どこからが盗聴」なのかということを考える必要があります。どこからが盗聴で、どこからが「許容できる範囲」なのかということです。盗聴だけではありません。「盗撮」も同様です。コンビニをはじめとする商店に設置されている監視カメラは常識の範囲内です。エレベーターの中にあるカメラも常識の範囲内です。それでは、なんでもない街頭に設置されたカメラはどうでしょうか。人によっては不快感を示すのではないでしょうか。
検索すればどのような地域でも「路上」の画像を見ることができる大手検索サービスの「地図」、これはどうでしょうか。「盗撮」ではないでしょうか。自分の自宅が写っているということもあるでしょう。ただ、「家の中が見えないから大丈夫」なのか、たまたま窓が開いていて「裸の自分」が写っているとアウトなのか、そもそも顔はぼかしてくれているから良いのか。すべて「人の価値観による」のではないでしょうか。
セキュリティ上、サービス上のことと、「プライバシーの侵害」は紙一重なのです。考え方、捉え方ひとつで変わることなのです。すべてが許されるわけではないのです。すべて許容する必要はないのです。ただ、意識したいのは「ここは大丈夫」という固定観念です。盗聴器などはどこに仕掛けられているかわからないものですし、そもそも「自分はそんなことにはあわない」と考えること自体が危険です。だれがいつ、どのような被害に遭遇するかわからない時代だということです。インターネットの地図サービスに表札が写ってしまっていたら、その時点で「そこに住んでいる人は誰なのか」ということがわかってしまいます。それ自体は犯罪ではないでしょう。ですが、それを基にした犯罪はいくらでも考えられます。現代は情報がどんどんオープンになってしまう時代です。そのような時代の「セキュリティ」を考えていった方が良いでしょう。