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どのようなものでも盗聴はできる

電子機器は目まぐるしく発達しています。それらにとっては「録音」という機能など造作もないことなのです。「録音」するということは、現在では特別なことではなくなっているのです。

ただ「盗聴」といっても、現代ではさまざまな方法、さまざまなスタイルがあるといってもいいでしょう。さらには、「どのような行為を盗聴と呼ぶのか」という定義づけの部分にまで遡って考える必要がありそうです。「盗聴」とは、「相手が録音されていることを自覚していないのに録音する」と定義してもいいのではないでしょうか。商談や打ち合わせの際など、さらには昇給交渉、退職交渉など、考えられるさまざまな「話し合い」の記録を残すためのものです。

現代ではさまざまな情報伝達手段があります。それらは「記録」として明らかにログが残るもの、「会話」のように「記憶」としてしか残らないものなどがあります。さまざまな情報伝達手段、交渉の手段がある中で、もっとも「即時性」に優れたものが「会話」です。相手のハナシ、言葉を聞いてすぐに返す、相手もそれを聴いてすぐに返す、そのような言葉の「応酬」が「会話」です。そのような会話は、「議事録」として残さない限り「記憶」に頼ったログしか残せません。人が人の言葉、あるいは自分の言葉を「記憶」するしかないのです。それを後から参照できるようにするのが「録音」です。録音することで、その時の「会話の内容」を明確に残すことができます。

会話により折衝の結果、「言った、言わない」の揉め事が起こることがあります。それは双方が「都合の良いように物事を解釈しているから」です。曖昧な言葉が、その現象を後押ししてしまいます。「明確に」、「明らかに」、物事を伝えることができなければ、互いに認識が合わないままその折衝が終わってしまうことにもなるのです。そうなると、せっかく打ち合わせをしたことがムダになってしまうのです。

そのようなことがないように、相手と自分がなんと言ったか確実なものにするために、「記録」することは有効です。また、それは双方が記録していることを意識していなくても、有効なのです。「あなたはあの時こう言った」という「記録」を作ることができる、それが「録音」です。相手に了解を取らなくても、それを録音してしまえば「記録」として成立することになります。それが私たちにとって重要な「証拠」になる場合もあるでしょう。

日頃からそのような「記録」は可能です。私たちが普段持ち歩いている「携帯電話」、「スマートフォン」などを用いれば、簡単に録音することができるのです。相手に了解を取るのか、それとも相手に内緒で録音するのか、それはケースによっても違うでしょうが、私たちは実に簡単に「録音」することができるようになったということです。そのような時代ですから、「盗聴」の定義を少し考えなおさなければいけないのです。互いに、互いの言動を監視することができるようになってしまったのです。それをどう使うかは私たちそれぞれの手に委ねられているわけです。自分を守るために使うことも、相手を貶めるために使うこともできるでしょう。そのような時代に「盗聴から身を守る」という事自体が「ナンセンス」なのかもしれません。

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