会社ではプライベートはないということ
職場での盗聴の是非、それは正しいことではないと誰もが考えるでしょう。「録音」するのであれば、予めそれを知らせておくべきだと考える人がほとんどでしょう。
それでは、「録音する」と事前に知らせておけばなんでも録音して良いのでしょうか。それはモラルとして納得できることでしょうか。そのようなことに対して一定の答えを出すことなどは出来ないのではないでしょうか。ただ、仕事の精度、集中力を上げるための「録音」、そしてそれを活かした向上のための仕組みがあれば良いのでしょうか。「仕事」に対して私たちは「プライバシー」を持ち得るのでしょうか。
社会人になるとまず実感するのは自分で自分の経済を成立させることができるということです。自分自身の消費行動について、自分自身で責任を持てるようになるのです。それが実感できた瞬間に、「自由」を感じることになると思います。本質的に自分は「自由」であると、そのように考えるようになるでしょう。自分がどのような生き方をしてもいい、どのように振舞ってもいい、会社に勤めてさえいれば生きていけるし、稼いだお金をどのように使ってもいいと、考えるようになるのです。そのような考えに思い至ると、「仕事」でさえ自由であると、自分の責任で社会に参画していて、自分の責任で回ることがたくさんあると誤解するようになります。
社会人といってもその考え方はさまざまです。それは「職場」がさまざまであるからです。その組織、その企業によって、大切にしなければいけないことというのは違います。「お客様の満足度」を大切にする会社もあれば、営業成績のみが大切なことで営業成績のみを追い続け、一般的な「モラル」などはどうでもいいという会社もあります。会社や企業は学校ではなく、利潤を追い求めるプロの集団であるのです。そのプロの集団には、トップや経営者が大切だと考えることがたくさんあり、そこに所属する私たちはそれぞれの組織の原理、それぞれの組織の正義に従うしかないのです。
そうなると、「正しい」ということや「間違っている」ということなどは「組織」が決めることであって、自分が「どうこう」言えるようなものではないということになります。自分が大切にしていることと会社のそれが食い違っていて、どうしても耐えられないということであれば、その組織から脱退、つまり「退職」するしかないのです。つまり、勤務中にすべてを録音するということが「正しい」とされている組織では、こちらが何を言おうと「それが正義」であり「それがルール」ということになります。仕事中の私語が厳禁であるのであれば、それに従うべきですし、それが嫌ならばその組織から離れるしかありません。
「個人」がどう考えようとどうにもならないということ、個人がどう思おうとどうにもならないことがたくさんあります。ひとつひとつのことに対して倫理的な、社会的な答えなどは出せるものではありませんし、自分が考えている「それ」が他の人も正しいと思うかどうかなどはわからないのです。それが「社会」です。「自由」の本質は、「その正義を選ぶのか」ということと等しいかもしれません。自由だと感じていても、その自由を支える「ルール」を誰もが守っているはずなのです。