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「聴く」ことが楽しみな人がいる

人はそれぞれ余人とは相容れない、自分にしか意味がわからないような趣味を持っているものです。それは自分だけが楽しめればよく、誰も理解してもらえなくてもいいのです。

人がどのような趣味嗜好を持っていようが、他人には関係の無いことです。好きなだけ、自分の世界に浸ればいいのですし、それにわざわざ関知するのもおかしなハナシです。どのような趣味を持っていようと、その人はその人の生活を送っていて、責任を持って社会に貢献しているということです。ですが、その「趣味」が人に対して不快な思いを与えるようなものであるのであればハナシは別です。そのような趣味はただちに辞めてもらう必要があります。

ですが、そのような特殊な嗜好を持った人は、わざわざ誰かに「自分はこのような趣味を持っている」などということを語らないものです。だから誰もその人がそのような特殊な嗜好を持っていることに気がつけません。その趣味が「盗聴」なのであれば、それには気がつけないのです。そのような趣味を持っていても、街で普通に過ごしていれば見分けがつかないのです。目つきが怪しい、挙動が不審、そのように感じる人などはたくさんいます。ですが、だからといってそのような人が「変質者」なのかというと、それは確実に偏見です。特異な趣味を持っている人、誰にもいえないような嗜好がある人ほど、街ですれ違うだけではわからないものですし、職場でもそのような片鱗を出さないものなのです。

「この人は危ない人」だということが事前にわかれば、世の中から犯罪を無くせるということです。思いもよらない人が思いもよらないことをやっているから、世の中は恐ろしいということです。「盗聴」などはまさにそうです。「ただ聞いているだけ」という場合であっても、聞かれている側にとっては不気味です。実害がないといっても、「聞かれている」こと自体が実害なのです。

一般的なイメージで私たちが抱くのは、「盗聴」されているという事実があるとすれば、それは「監視されている」ということにつながります。自分の生活パターンが読まれている、自分のプライバシーが丸裸にされている、自分がいつ誰と話していたのかも、自分がいつ誰と交流していたのかも、すべて丸聞こえになっているということです。そのようなことはそのまま「犯罪」に巻き込まれるのではないかというイメージにつながります。犯罪に巻き込まれてしまうということは「恐怖」です。「盗聴されている」ということは「恐怖」なのです。

すべての盗聴事案が、命を脅かすような犯罪につながるわけではないのは確かです。盗聴すること自体を楽しんでいる人のほうが多いのかもしれません。ですが、盗聴のパターンでそれを判別することは事実上不可能です。そして、「なぜ自分が盗聴されているのか」ということに対しても、妥当な答えを出すことはできません。特に都市部の住宅は密集しています。一度住んだことのあるアパートやマンションなどであれば、そこに盗聴器を仕掛けることなどたやすいのです。被害はランダムに発生します。そして、その住宅に程近いところに車を停めて電波を受信するということも、一見すると怪しい行為ではないのです。盗聴は、いつどこで発生しているかわかりません。そして、その目的もわからないのです。

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