信頼を回復するための盗聴
「疑わしい」と感じてしまったあとは、その対象、その人のすべてが「怪しい」と感じてしまうものです。それは「疑心暗鬼」という感情です。信じたいけれど、ひとつの「疑わしいこと」で相手が今までとは違った人に見えてしまうということです。
そのようなことを乗り越えるためには、自分の疑問、自分が相手に対して抱いている「疑惑」を相手に対してぶつける必要があります。ただ、そのような勇気がなかったり、あるいは聞いても相手がはぐらかしてしまったり、簡単には知ることができません。また、「疑わしい」という状態で相手に質問して、「気にしているようなことはない」という返事であった場合、それが本当なのかそれともこちらを安心させるための「嘘」なのか、判断がつかなくなってしまうものです。
そのような「どちらかわからない」、「知ることが怖い」ことは生活している中でたくさんあります。そして、「実際に知らなくても、信頼している」から済んでいることもたくさんあります。信頼しているから知らなくても良いということはたくさんあるのです。家族の素行、伴侶の素行、恋人が普段なにをしているのかなど、事細かく聞かなくても「信頼」があればそれで済むということも多いのです。ですが、その「信頼」がなくなってしまった場合、こちらが相手を信じることができなくなっている場合、あるいは「信頼がなくなりかけている」という場合、相手に対して抱いた疑惑、そしてそれまでなら抱かないような疑惑も次々に思い浮かんでしまうものなのです。
それを解消するためには、再度相手を信頼するためには、「思いすごしだった」という「確証」がほしいものです。どのような手段でも構わないので、相手に対して「信頼」を再度抱けるような確証がほしいものです。それを得るためには、相手のハナシを聞くだけでは足りません。相手に理路整然と整った言い訳、アリバイなどを聞くだけでは足りません。揺るぎない事実として、確実な証拠として、その証拠が欲しいのです。
それはある意味、「疑惑」の頂点の状態ともいえます。自ら調べることで、「自分の思い過ごしだった」という結果に至れば一番良いのですが、そうではなくやはり「危惧していたとおりだった」ということになった場合、相手との関係が壊れてしまうこともあるでしょう。ですが、それを覚悟しているのであれば、さらには再度相手を信頼したいと考えているのであれば、恐慌手段として「調べる」ということは有効なことかもしれません。
盗聴という手段であっても、その疑惑が晴れるのであれば、その疑惑が解決するのであれば、それはその後の関係を修復するためには必要なことかもしれません。それが一般的に許されざる行為であったとしても、そのようにして確証を得なければ相手と正常な関係を保てないということであれば、その手段を行使することもやむを得ないことなのです。
「信頼」とは築きあげるためには長い時間を要します。そして、築き上げた信頼はいとも簡単に壊れてしまうものです。作るためには時間がかかるのに、壊れるのは一瞬ということです。そのような「信頼」にまつわる人と人の関係はさまざまな様相を呈します。時にはハッキリしたいということ、あるいは知らない方が良いということもあるものなのではないでしょうか