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「知りたいこと」を知る勇気

なにか気になることがある。私たちは常にそのような意識の片隅に残るようなことを抱えているものです。そして「気になること」は知りたいものなのです。

私たちは「知的好奇心」というものを持っています。「実際のところはどうなのか」ということを知りたいのです。それがたとえ目を覆いたくなるような現実でも、知ることで傷ついてしまうような現実でも、私たちは「知りたい」のです。知ることでなにかが壊れてしまうかもしれなくても、知ることでそれまでの生活、日常が壊れてしまうかもしれなくても、私たちとって「知らない」ということは何よりも耐え難いものなのです。

そして、「知る」ための手段はたくさんあります。それが「学問」である場合、「学ぶ」ということで満たされます。学ぶということは新しい知識を体系的に吸収し、自分のものにすることです。それが「自発的」であり、かつ興味を持って触れることができれば、学習の効率は良いものです。知りたい対象が学問などではなく、物事や出来事などであれば、人から聞いたり、それが一般的であればニュースなどから情報を仕入れたりということも有効的です。私たちが知りたいこと、学びたいことはその時によって違います。そして私たちは自然とその時、そのケースにあった「知る方法」を選んでいるのです。

対して、「知りたいのに簡単にはわからない」ということもたくさんあります。それは学問を習得する中での「難問」であったり、「人の事情」、「人のプライベート」に関わるようなことだったりします。特に後者は、学問とは違って「学ぶ」ことでは知ることができません。知りたいと思った場合はその人のプライベートを深く知るような人からハナシを聞いたりするか、あるいは「本人」から聞くなどしかありません。それはある意味人の「プライバシー」を剥ぎ取る行為であり、人の「尊厳」とされている「一線」を超えることでもあります。相手が了承していないのに、その一線を超えるということは、一般的には非難されることではあります。

ですが、そのような「プライバシー」を守るということを超越した「知る責任」というものも存在します。それは自分が保護している子どもなどの素行を知るためなど、「育てるため」の場合です。あるいは学校における生徒間の「イジメ」を見抜くなど、倫理的に是正しなければいけない問題が生じた際には、持てる手段のすべてを費やしてその状態を打破する必要があるかもしれません。

本人たちに聞いても要領を得ないようなトラブルです。私たちはそのようなことをさまざま抱えています。それらの問題は「いつか是正しなければいけない」というレベルのものから、「緊急」というものまでさまざまでしょう。そして、そのようなことは「知る」ことが必ずしも幸せなことではないのです。知ることでこちらが傷ついてしまうこともあるでしょう。ですが、そのようなことを乗り越えて解決すべき問題もあります。

そのような事態に際して、「盗聴器」は確実に役に立ちます。悪用するのではなく、自分の大切な人、是正すべきことを解決するために必要なことというわけです。そのようなことを守るために、役に立てられるものは役に立てる、活用するということが必要なときもあるのです。

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