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我が子の素行を知るための盗聴

自分の子どものことは知っているもので知らないということが多いのです。小さいうちはどのような子どもかわかっていても、大きくなるにつれ何を考えているのかがわからなくなってきます。

自分が育てたつもりでも、人は環境に左右されて成長するものです。親が心血を注いで育てたとしても、学校に通い始めると同級生や先生、そして触れる地域社会から影響を確実に受けるのです。そのようなすべてのこと、我が子がどのような人と接し、どのようなことに興味を持ち、どのように成長していくのかは、いくら親であっても制御できるものではないのです。「あの友達とは付き合うな」と、言えたとしても子どもがその通りにするとは限りません。非行に走りつつある我が子を、そうと知ってもどうにもできないということも大いに起こることです。子育てとは難しいもので、思春期に差し掛かった子どもは自分ひとりで成長したような顔をします。なまじ考えも身体能力も発達しているものですから、一人前の思考を「再現」できるのです。

それでも学生のうちはまだ「養う」ことが必要です。学生であるのであれば自分だけで働いて生きていくことができないのです。社会がどれだけ厳しいのか、世間がどれだけ冷たいのか、分からないまま、そのようにモノを言っているのです。それがわかるからこそ、叱らずにはいられないのです。やがて嫌でも社会に進出していかなくてはいけないから、それがわかっていて、社会の厳しさも身を持って知っているので、そのような荒波にも耐えられる人物になってほしいと願うのです。

自分の子どもが「明らかに非行に走っている」とか、「学校に行くふりだけして実はサボっている」ということがわかっていれば、また叱りようもあるというものです。ですが、「普通のふり」をされていてはどのような指導も、どのような教育も届きません。言葉では「良い子」を装ってはいるものの、実際はどうなのか、本当の部分が不安になるということもあるでしょう。そのような時に、「我が子の情報が知りたいから」という理由で「盗聴」を用いることもあります。もちろん、我が子に気取られると信頼を損なうことです。絶対にその行為がバレてしまってはいけないのです。最終手段とも言える、強硬手段ですが、これによって「知る」ということが大切で、家庭内で言っていることが「本当だ」とわかったり、「やはり嘘をついている」ということがわかったりします。

このように「盗聴」は普段聞けないことを知るための優れた手段ではあります。ただ、それを仕掛けられる「相手」は、それがわかった段階で確実にこちらへの「信頼」をなくしてしまうことでしょう。盗聴は諸刃の剣です。それによって得られる情報と、失うかもしれないことがあります。一番良いのは、盗聴しなくてもなんでも話し合える親子関係を構築しておくことです。なんでも相談できる、普段のことを何も気にせずに語り合えるような関係を作っておくことです。それができないから盗聴するのであって、「盗聴するから話さなくてもいい」というわけではないのです。盗聴しなければいけないということは、「親子のコミュニケーションがとれていない」ということを、しっかりと頭にいれておきましょう。

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